ライフル弾の威力に違いがあるのはなぜ?
サバゲーマーの皆さんが使っているエアガンは、どれを使っても撃ち出す弾は同じ6ミリBB弾で、銃口初速や威力もほぼ横並びです。そのため、実銃の弾薬持つ威力の違いについて余り深く考えることはないでしょう。
しかし、昨今のFPSなどのゲームを楽しんでいる方なら、アイテムとして使われるライフルやSMGの使用弾薬によって、威力が違うことにお気づきだと思います。そういったゲームでは、威力の高い銃はコントロールが難しく、装弾数も少なめです。
また、アサルトライフルなどの小口径弾は威力が低めのかわりに、連写時のコントロールがしやすく装弾数も多くなっています。そういった観点から、ライフル弾の威力の差や、射程距離、装弾数の違いに興味を持たれている方のために、今回は20世紀初頭から現在に至るまでの、軍用小銃に使われてきたライフル弾の変遷についてご説明します。
第1章 19世紀末から第2次大戦末期まで
大威力長距離射程を求めた時代
7.92×57モーゼル弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の38式小銃、イギリスのリー・エンフィールド、ロシアのナガン、というような19世紀末から20世紀初頭に開発された軍用小銃のリアサイトの表示が、1000メートル近くまで刻まれいたことを皆さんは御存知でしょうか?
これほど離れた距離の敵をオープンサイトで狙うのは、今の感覚で考えれば無謀であり、1000m先の人間を狙ったところで、フロントサイトよりも小さくなるので、狙い事態が付けられません。しかし、19世紀末までの戦術と兵の運用思想上で考えると、十分に実用性があったのです。
その理由は、第1次大戦以前の戦争の戦い方に見いだせます。第1次大戦以前にヨーロッパで行われてきた戦争(主にフランス革命以前)では、各国の王達が戦場に傭兵を雇い入れて戦っていました。金で雇われた傭兵たちは、雇い主の勝利よりも自分の命が何より大切なので、戦況が不利になると戦線を離脱するものが多かったのです。
タナカ Kar 98k AIR 18歳以上エアーガン
そのため、傭兵たちが逃げ出さないように隊列を組ませて、集団で進軍させていたのです。そういった集団なら、1000メートル先でもオープンサイトで十分に狙う事ができる大きさに見えました。この名残りが19世紀末まで残っていて、当時に開発された軍用小銃は、長い有効射程を持つライフルカートリッジを主体に開發されました。
それらのライフルカートリッジのマスターピースと言えるものが、ドイツのモーゼル兄弟が開発した7.92×57モーゼル弾です。このモーゼルの開発したカートリッジは、全ての軍用カートリッジの元といっていいほど、その後に世界中で開発された軍用カートリッジに影響を与えました。
第2章 第2次大戦末期
戦場に必要なのは射程距離よりも制圧力だ!と気づいた時代
7.92×33mmクルツ弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
19世紀末に7.92×57モーゼル弾が世に出ると、ヨーロッパを中心とした各国が似たようなスペックの小銃弾を開発します。アメリカの30-06スプリングフィールド、イギリスの303ブリティッシュ、ロシアの7.62×54R、そして日本の6.6ミリ小銃弾です。
これらのカートリッジはいずれもフルスペックの威力で、射程距離は長いが、反動も強いため自動小銃の開発には向いていませんでした。唯一、これらのフルスペックの小銃弾を使いながらセミオートライフルを開発したのはアメリカのM1ガーランドのみでした。
これらの小銃弾を使うライフルで戦われた第2次大戦末期のドイツでは、前線の部隊が深刻な火力不足に見舞われていました。当時のドイツ陸軍は、部隊の主力兵器をMG42などのGPMG(汎用機関銃)を主体にして、兵卒の持つ小銃はGPMGの護衛兵器として捉えていました。
AGM MP40 電動ガン BLACK AGMMP40BK
しかし、ドイツ陸軍の実情はGPMGが不足がちで、敵を制圧する武器として用いられていたのは威力の低い拳銃弾を使うSMGだったのです。また、ドイツ軍部が行った調査でも、実際の戦闘の交戦距離は300メートル以下が多いことが分かり、威力は高いがフルオート射撃に向かない小銃弾よりも、射程距離は劣っていても、フルオート時のコントロールが容易な小銃弾が効果的だという結論に至ったのです。
その結果、従来のモーゼル弾の薬莢のサイズを短くし、装薬量を減らした7.92×33ミリ弾というライフル弾を開発して、アサルトライフルの元祖とも言うべきStg44という小銃のと共に前線に送ったのです。この新しいコンセプトのライフル弾は、装薬量を減らしたことによりフルオート時のコントロールが用意になりました。
AGM Stg44 [MP44] ウッドストック版 (電動)
また、300メートル以内の敵になら、ダメージを与えるのに十分な威力でした。さらに、装弾数も30発になり、兵士たちが使っていたそれまでのKar98kよりも、制圧力が劇的に向上したのです。この、拳銃弾と小銃弾の中間の威力を持つカートリッジのコンセプトは敗戦後、ソ連によって引き継がれ、稀代の名銃である「AK47」の開発につながるのです。
いわば、今日の主流である「インターミディエイト弾」の先駆けと言っていいカートリッジであり、現在のアサルトライフルのカートリッジは全てこの7.92×33ミリ弾の影響を受けています。
コメント